私を知る旅の語り部
Daso Sufiです。
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一般的にはエゴの捉え方って、
すっごく曖昧だと思います。
というか、
自己探究の道にあっても、
つい怠ることがある。
何を?
自己を見つめていることを。
エゴの習慣性の行動に
ただ流されて行くんですね。
そっちの方がパワーが強いわけです。
私の場合は、
エゴ構造を頭で理解しただけでは、
な〜んも変わらんかった。
ああ、そうなんだ〜
って言うだけで、
しばらくすると忘れている。
短くて10日間、
長いのだと3週間、
瞑想のプロセスにコミットして
お目々パッチリ!
覚醒バッチリ!
ナチュラルハイとはこのことよ!!
って言ってるのも束の間。
日常のあれこれに関わっていくうちに
スローリィ〜・アンド・シュワリィ〜
日常の生ぬるい居心地良さに
どっぷりと浸かっているわけで。。。
それはそういうもんだろうなんてね。
でも、
エゴにどう付き合っていくかが
わかってきて、
同時に
その背後にある本質に触れていくにしたがい、
これが<私>だって見えてきた。
エゴも本質も、すべてが<私>であって、
切って捨てるようなものは何もなく、
でも勝手に落ちていくものもあることも
わかってきたんですね。
閉まっていると思っていた
エッセンスへの扉が、
実は隙間だらけで、
いつもいつも、
扉の向こうに大事なものが
見えていたんだって、
わかってきたんです。
グルジェフが西洋に伝えた
精神性のエニアグラムが作られた意図は、
客観性の視野を養い、本質を知るためのものでした。
エゴ(人格)を紐解くエニアグラムは、
人間の本質であるビーイングの資質に目を向けていません。
エゴの行動パターンを、
ちょっと離れたところから観察してみると、
いろいろ面白いんですね。
だから「魂のエニアグラム」というコースをデザインしたんです。